ゼロから学ぶアメリカ合衆国

ゼロから学んだアメリカ合衆国をわかりやすく説明

2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

17世紀のイギリス

13植民地の歴史を語るうえで、本国の歴史は避けて通れない。植民地の特許を複雑にしたのが、度重なる政変である。 1639~60年に及んだイングランド内戦のクライマックスが清教徒革命である。チャールズ1世が1649年に処刑され、清教徒オリバー・クロムウェル…

植民地の統治形態

1つ目は、本国に無許可で勝手に創設されたもので、最初期に北部で誕生する。プリマス、ニューヘイブン、プロヴィデンス、コネチカットが該当し、1691年までには姿を消した。住民の自発的な同意に基づく「社会契約」をベースに成り立つ。 2つ目は、本国からの…

ニューヨーク植民地

オランダが1609年にハドソン川を発見すると、オランダ商人が毛皮取引で度々訪れるようになる。 事業は国営化され、1624年には現在の州都オールバニおよびニューヨークで恒久的入植が始まる。翌25年にはマンハッタン島での入植が始まり、ニューアムステルダム…

ニューハンプシャー植民地

マサチューセッツとカナダとの国境を流れるセントローレンス川に挟まれた地域である。1622年にジョン・メーソンとフェルディナンド・ゴーシスに特許状が下り、イングランド南部のハンプシャー州に因んで名付けられた。 翌1623年に入植が始まり、間もなく州都…

ニューヘイブン植民地

1637~62年まで存在した植民地で、現在のニューヨークとコネチカット植民地に挟まれた地域である。 ジョン・ダベンフォート率いるピューリタンの一団は、信教の自由を求めてマサチューセッツを目指すが、彼の目には堕落した社会として映り、より良い宗教環境…

ロードアイランド植民地

異端としてマサチューセッツ湾植民地を追放されたバプテスト派が、信仰の自由を求めて移住した土地である。世界七不思議のひとつがある、ギリシャのロードス島から名前を拝借した。1625年には少数のオランダ商人が入植していたが、イギリス人勢力に呑み込ま…

コネチカット植民地

マサチューセッツに上陸したピューリタンは開拓者精神が豊富で、セイラムやボストンといった町に留まらず、周辺に拡がった。エドワード・ウィンズロウは1632年にコネチカット川流域を探検し、ほどなく入植が始まった。コネチカットとは、先住民の言葉で「長い…

信仰の衰え

宗教信条に基づく勤勉さにより、マサチューセッツの共同体は繁栄した。様々な職を担う人材にも事欠かなかった。1636年には、議会主導でハーバード大学が設立され、教育にも力を入れた。 入植開始から数十年が過ぎ、現地で生まれ育った2世の時代になると、ピ…

マサチューセッツ湾植民地(1629~86)

1623年にドーチェスター会社が現在のマサチューセッツ州北東部に入植を開始したことに始まる。ほどなく会社は破産し、事業と現地の入植者は「ニューイングランド会社」に引き継がれる。1628年にはピューリタンのジョン・ウィンスロップによって「マサチューセ…

プリマス植民地(1620~92)

1620年にピルグリム・ファーザーズと呼ばれる清教徒がメイフラワー号を下船して入植したのが始まりである。その地はマサチューセッツ州南東部にプリマス市として、現在も存続する。 前世紀からイギリスやフランスによる漁業が盛んで、漁師は度々本土に上陸し…

ピルグリム

本国での迫害を逃れるために、ピルグリムが最初に移住した先はオランダだった。信教の自由は保障されたが、居候の身分しか貰えなかった。自由な道徳環境は、子供たちの信仰に悪影響を及ぼした。 ここは新天地ではないことに気づいたピルグリムは、新たな移住…

ニュージャージー植民地

ハドソン川とデラウェア川に挟まれ、ニューヨークとペンシルヴァニアに隣接する。 1629年にハドソン川沿いにオランダが開拓地を開いたのが始まりである。1664年にはイギリスが取得して、領主植民地となる。東半分の領主カートレット家の出身地ジャージー島に…

ペンシルヴァニア植民地

チャールズ2世の勅許をもとにウイリアム・ペンJr.が設立した。「ペンの森」のラテン語読みがペンシルヴァニアである。 1638年以降、デラウェア川西岸にニュースウェーデン会社が入植したが、1655年にオランダに征服される。その後1664年にイギリスがオランダを…

デラウェア植民地

デラウェア湾およびデラウェア川下流の西岸地域である。 名前の由来は、第2代ヴァージニア総督による。彼が就任した1610年代、この地はヴァージニアの一部だったからだ。 1638年にはニュー・スウェーデン会社が恒久的入植に成功するが、1655年には対岸から…

ジョージア2

カロライナ植民地とスペイン領フロリダに挟まれた土地は、先住民ヤマシー族の活動領域だったが、1715~17年の戦争で人口は激減した。生存者はセミノールとしてフロリダへ逃亡すると、海岸部は無人の空白地帯となった。 そんな中、ジョージア植民地は、1733年…

サウスカロライナの経済

地域経済は、英領バルバドス諸島でのサトウキビ事業経験者が担った。 入植当初に経済基盤は、奴隷貿易だった。遠くアフリカから運ばれてくる黒人奴隷よりも、近所で調達できる先住民奴隷の方が低価格で、大きな競争力となった。 奴隷狩りを生業とする先住民…

サウス・カロライナ植民地

カロライナ植民地から北部が独立したことによって誕生した区分である。 自治権を求めた入植者たちにとって、植民地領主は目の上のたん瘤だった。プロテスタントへの信教の自由を認めたことも、イギリス国教会を信奉する入植者たちにとって受け入れがたいこと…

ノース・カロライナ植民地

日本語にすれば、北カロライナである。 陸続きのヴァージニア植民地から入植した北部と、中央政府のある南部と地理的にも社会的にも隔絶されていた。カロライナ植民地の定義である北緯29度~36.5度の範囲内に両者が含まれていたというだけで、赤の他人同士だ…

植民地の定義

新大陸に入植するには、本国の許可が必要だった。特許状、勅許という形で認可される。本国の政府が革命などで転覆すれば、新しい政府に許可を取り直す必要があった。 植民地の範囲は、未入植(未確定領土)の地域と同意語だった。 最初に認可されたヴァージニ…

カロライナ植民地

清教徒革命後の王政復古に伴い、1663年に国王チャールズ2世が、功績のあった貴族8名に下賜した領主植民地である。 父親チャールズ1世のラテン名(カルロス)に因み、ヴァージニアの南側に位置する。 カロライナが認可される前から、既に歴史は始まっていた。15…

メリーランド植民地

ポトマック川を挟んで、ヴァージニアの北側に隣接する。ヴァージニアの頁でも登場した国王ジェームズ1世が認可し、彼の妻(=王妃)にちなんで命名された。 迫害されている国内のカトリック教徒の避難所を作るべく、自身もカトリック教徒であるボルチモア男爵…

迫害される黒人

黒人の入植に関する最も古い記録は黒人に対する差別は顕著でなかった。 彼らにとって重要なのはキリスト教徒か否かであって、洗礼を受けた黒人には白人と 同じ法律が適用された。 当初黒人奴隷は年季奉公人とみなされ、白人黒人にかかわりなく同じ扱いを受け…

奴隷制度

1676年のベーコンの反乱は、大農園主に大きなショックを与えた。 年季奉公人は自由になれば、反乱に加担した下層階級の一員となる。 それなら黒人奴隷を雇えば、平和な世の中になるのでは?と考えるようになる。 そもそも黒人奴隷は高額で、1/3の費用で済む…

ベーコンの反乱

17世紀後半に、英語圏は深刻な不況に陥った。オランダを標的にした八十年戦争が終了し、今度はオランダ商人との貿易戦争に突入したのである。 1651年にはオランダ締め出しを目的とした航海法が制定され、保護貿易政策が始まる。物価は高騰し、不景気に伴う税…

社会構造の問題

人頭権制度は、年季奉公人を雇える金持ちだけが潤う結果になった。 彼らは川沿いの水運に恵まれた肥沃な土地を独占し、 年季奉公を終えた人たちには不便な僻地しか残されていなかった。 僻地では先住民と接触することも度々で、衝突も増えた。 議会で発言し…

先住民との衝突

植民地の発展は、先住民との軋轢という問題を生み出した。 飢餓と疫病で被害妄想に陥った入植1年目から、銃で先住民を脅して食料を略奪することが行われた。 互いの文化・価値観の違いを乗り越えることもできなかった。 先住民には土地の私有という概念がな…

1619年の改革

経済活性化のために、1619年に改革が行われた。 一つは人頭権制度で、一人当たり50エーカー(650メートル四方)の土地私有を認めた。 自分が切り開いても結局は皆の土地とされた頃と比べて、俄然意欲が湧く。 使用人もカウントされるので、大勢の使用人を雇う余裕…

ヴァージニア会社

1607年に入植した人たちは、当時の国王の名前にちなんだジェームズタウンを建設する。(この町は、ヴァージニア州で現在も存続している。) しかし、黄金探しに夢中で労働意欲が乏しく、マラリアと食糧難に苦しむ。 この危機を救ったのが、ジョン・ロルフだ…

ヴァージニア植民地 プロローグ

アメリカ合衆国建国に繋がる最初の植民地が、ヴァージニアである。 名称は、1578年に入植プロジェクトを認可した未婚の女王エリザベス1世にちなむ。 入植と殖産を目的とした「ヴァージニア会社」がロンドンで設立される。 経営者である貴族階級が事業計画を発…

西洋人による探検と征服

西洋人による新大陸探検の先駆者は、北欧のバイキングである。 日本では藤原氏が全盛を極めた10,11世紀の出来事である。 例えばグリーンランド島には、982年以降に入植たという記録が残るが、 永続しなかったことと、大陸ではなく島であることから、通常は除…