帝国主義国家へ
アメリカは、宗主国のイギリスに負けず劣らずの征服欲を持つ国家だった。メキシコからテキサス~カリフォルニアにかけての広大な領土を奪い、ハワイ王国を併合した。
19世紀末にはスペインと戦争して、フィリピン・グアム・プエルトリコなどを奪った。
自国の工業製品の販路とすべく、中南米の政権に肩入れし、現地経済を支配した。
こうした征服路線の大義名分となったのが、モンロー宣言である。
モンロー主義に従って、「西半球(南北アメリカと太平洋)」を支配していったのである。
この路線は、1905年にセオドア・ルーズベルト大統領が、満州の権益を懸けた日露戦争の講話を斡旋することにより、ピークを迎える。
ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発した際、ウィルソン大統領は参戦を熱望したが、議会や世論がモンロー宣言を順守する路線だったため、ドイツの攻撃を受けるまで叶わなかった。