ゼロから学ぶアメリカ合衆国

ゼロから学んだアメリカ合衆国をわかりやすく説明

2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

リーマンショック

2007年~2010年まで続いた金融恐慌のピークをなす出来事である。 2008年9月にアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズHDが経営破綻したが、 国家による救済が行われなかったために、世界経済がパニックに陥った。 アメリカ政府は救済措置として、7000億ドル(…

ソ連崩壊

ソ連崩壊 第二次世界大戦後、米ソは桁外れな軍事力を背景に世界を席巻した。膨大な軍備費を賄うには、経済力が必要である。 共産圏では労働者の怠慢、技術発展の遅れによって持っている資源を活用できなくなり、生産力が著しく低下した。オイルショックに伴…

世界のドル($の錬金術)

イギリスの凋落で、第二次世界大戦後、世界の基軸通貨は英ポンドから米ドルへ切り替わった。 世界の富(お金と金塊)の多くがアメリカにあることが、世界で通用するドルの信用源だった。特に、景気変動があっても価値が下がらない金塊を独占していた点が大きい…

公民権運動

アメリカの奴隷制度は廃止されたが、人種差別は続いた。 特に南部では法律によって選挙権を剥奪され、公共施設で黒人を隔離する政策が取られた。それは、白人(White)が有色人種(Colored)に「汚されないように」するための措置であった。異人種間の結婚はおろか…

ソ連の台頭と国際連合

ソ連の台頭 アメリカは第二次世界大戦に深入りしなかった結果、傷を負わずに済んだ。 連合国(原語:United Nations)への武器を貸与は、ヨーロッパとその植民地の市場を解放する条件で行い、戦後の市場もリザーブした。 しかし、東部戦線(独ソ戦)を援助しなか…

新世界秩序の構築

ウィルソン外交 アメリカは帝国主義路線を歩んだが、民主党のウイルソン大統領は、ヨーロッパの戦争(第一次世界大戦)には中立の立場を取りモンロー主義を遵守する姿を示した。 さらに国際連盟を提唱するなど、平和の使者というイメージがあるが、事実は違っ…

帝国主義国家へ

1890年までには本土の開拓を終えると、野心は海外へと本格的に向けられた。 その歴史は古く、日本に黒船を送った4年後の1857年に南太平洋の島々を獲得したが、南北戦争の勃発により中断した。 しかし、世界一の工業国になると中米の独立運動に介入し、1898年…

工業化と巨大資本の誕生

南北戦争の時期を発端として、アメリカの産業は著しく成長した。そして国民の経済格差も拡大した。 農地は飛躍的に増加し、農業生産量も増加した。結果的に市場に農産物があふれ、農産物価格はどんどん下がり、農家の生活は苦しくなる。 商業も成長し、都市…

南部再建と西部開拓

南部再建 南北戦争中の「奴隷解放宣言」、「再建法」による解放奴隷への市民権付与が行われたが、戦後の経済恐慌で連邦政府の関心と南部監視は一気に低下した。民主党を支持する白人は、恫喝と暴力で黒人の投票を阻止して議会の過半数勢力に返り咲く。黒人の隔離…

モンロー宣言(外的脅威の排除、領土拡張)

独立後も、外敵の恐怖は絶えなかった。 流通の大動脈は大西洋とミシシッピ川の水運だが、川の向う岸と河港ニューオリンズはフランス領だった。この土地を1803年にナポレオンから購入して、ミシシッピ航路の安全を確保した(ルイジアナ購入)。 1812年にはイギ…

第三部 アメリカ史に欠かせない出来事

アメリカの理解に欠かせない歴史の流れを扱います。なんとなく聞いたことのある言葉もあれば、初めての内容もあるかもしれません。 年表風の目次 (一行が10年) 大統領 1770 独立戦争 不在 80 連合規約と憲法制定 不在 ワシントン 1800 外的脅威の排除と領土…

連合規約と憲法制定

各州の自治が既に確立していたのとは対照的に、連邦政府の枠組みは不備が多かった。 イギリスと戦争するには各州が一致団結する必要があるので急造の「連合規約」を作ったが、州の緩やかな連合に過ぎず、連邦政府は国防と外交しか権限を持たなかった。 「暴力的…

第一部 初歩の歴史

年表風の目次 (一行が10年) 大統領 1770 独立戦争 不在 1800 1850 南北戦争1 南北戦争2 リンカーン 1900 第一次世界大戦 (ウィルソン) 世界恐慌 ニューディール政策 (フーバー),F.ルーズベルト 第二次世界大戦 F.ルーズベルト 1950 朝鮮戦争 トルーマン キ…

宗教

プロテスタントが5割、カトリックが2割、無神論も2割を占めている。 最大の宗派は、意外にもローマカトリックである。プロテスタントには無数の宗派が存在するが、ここではアメリカらしさを醸し出す宗派を紹介する。 バプテスト派連合 プロテスタントの最大…

国土

アメリカ合衆国は、北米大陸を東西に貫く国土を核とし、陸ではカナダ・メキシコと隣接する。 北側はカナダと五大湖、南はメキシコとメキシコ湾、東は大西洋、西は太平洋に接している。 大西洋に沿って南北に走るアパラチア山脈は、東部と中部の境界線である。…

民族

アメリカは人種の堝と言われるが、国民の7割が白人系であり、黒人は1割強に過ぎない。民族別では、ドイツ系17%、イギリス系13%、アイルランド系12%と続く。 先住民は、白人が持ち込んだ疫病と虐殺により、現在は少数派である。 移民は、宗教的迫害から逃れ…

教育

義務教育 日本の幼稚園年長から高卒に相当する13年間が義務教育になる。 公立でも、教育方針や教科書選定は学校毎に任されている。子供たちの通う学校の教育方針を決めるは、親の権利と見なされている。 治安が悪いのと自宅から学校が遠いので、スクールバス…

社会保障

健康保険 先進国で唯一、国民皆保険制度が存在しないのがアメリカである。 公的保険がカバーしているのは、年金受給者と低所得者だけである。 国民の大半は、保険会社の保険商品に任意で加入することで対処している。 掛金がかなり高額な上、保険商品によっ…

経済

アメリカは、世界一の生産量と消費量を誇る経済大国である。 これには、入植以来のフロンティア精神が大きく関係している。 自国のみならず、企業の海外進出も盛んで、世界的に知られる社名も多い。 国民の投資熱もあり、ニューヨーク証券取引所は世界一の取…

軍事

アメリカは世界最強の軍事力を持っている。 150ヵ国以上に駐留し、世界の空母の2/3に当たる10隻を保有している。 地球を6管区に分け、各区の統合軍司令官が陸海空軍を有機的に運用している。 ノウハウと、地球のどこででも即臨戦態勢に入れるのが、強さの秘…

政党

アメリカの政治は、共和・民主の二大政党によって動いている。小選挙区制度は、第三勢力の成長を難しくしている。 両党とも、時代と共に方針を二転三転逆転させているが、最近の傾向は下記のとおりである。 共和党 中絶反対・同性愛不可等、思想は保守的。 政…

行政制度

大統領制 日本と大きく違う点は、立法と行政が完全に独立している点である。 日本では国会議員から首相を選び、内閣メンバーの半数以上を国会議員から選出するが、 アメリカの大統領と内閣は、国会議員とは無関係の人物で構成される。 もともと大統領には大…

立法制度

合衆国議会(上院・下院) 日本との大きな違いは、両院が平等なことである。 法案の成立は両院での可決が必須で、日本でいう衆議院の優越のようなものはない。 上院議員の任期は6年で、各州から2名ずつ選出する。 地域社会の名士とみなされ、大統領候補になる…

司法制度

「陪審員制度」 植民地時代、裁判官や検察官は英国王の任命を受けた人たちだった。 裁判に植民地側の影響力を反映させるための手段として、市民陪審制度があった。 無作為に選ばれた複数の民間人が、法廷でのやり取りを傍聴して評決を下すという流れである。…

第二部 アメリカの社会

日本の常識=アメリカの常識ではない。第二部では、基本的かつ重要な相違点を確認していく。 馴染みのない言葉や考えが多数出てくるので、内容を理解しようと構えるよりも、軽く読み流してもらいたい。第三部以降でカギとなる場面が来たら、改めて該当部分を…

国家体制

アメリカ合衆国(United States of America)は、各州が集結した連邦国家である。 他国の州(province)とアメリカの州(state)は、本質が全く異なる。 アメリカの州は主権国家に近い存在である。 各州には、独自の憲法・法律・最高裁判所・軍隊(州兵)までが存在…

混迷

民主化の波の影響を受けて1991年にソ連が崩壊したが、アメリカの苦しい戦いは終わらなかった。 軍事・外交面では、大国ロシアや中国だけでなく中東産油国や北朝鮮等の小国に気を遣うのが常態化している。相手は国家とは限らず、テロ組織との闘いも続いている…

ベトナム戦争(1965~1973年)

当時のベトナムは、社会主義の北ベトナムと資本主義の南ベトナムに分かれていた。 南ベトナムの社会主義者はゲリラ戦で抵抗し、北ベトナムは彼らを支援した。 南ベトナム政府を支援するために、アメリカはピーク時には50万人を派兵した。 アメリカ政府は、…

ケネディとキューバ危機(1962年)

第二次世界大戦後の覇権争いでは、アメリカがソ連を大きくリードしていた。 そこでソ連は、社会主義国のキューバへ核ミサイル基地を建設して優位に立とうとした。 キューバとアメリカの距離は最短で160km、ワシントンも射程圏内、 アメリカとしては自分たち…

朝鮮戦争

日本の戦後史における位置付けとは対照的に、アメリカにとって朝鮮戦争(1950~1953)は印象の薄い出来事だ。 ベトナム戦争のピークに匹敵する数の兵士を動員したにもかかわらずである。 戦争中も司令官のマッカーサーは朝鮮半島に日帰り出張しかしなかったし…