ゼロから学ぶアメリカ合衆国

ゼロから学んだアメリカ合衆国をわかりやすく説明

2020-03-22から1日間の記事一覧

ニュージャージー植民地

ハドソン川とデラウェア川に挟まれ、ニューヨークとペンシルヴァニアに隣接する。 1629年にハドソン川沿いにオランダが開拓地を開いたのが始まりである。1664年にはイギリスが取得して、領主植民地となる。東半分の領主カートレット家の出身地ジャージー島に…

ペンシルヴァニア植民地

チャールズ2世の勅許をもとにウイリアム・ペンJr.が設立した。「ペンの森」のラテン語読みがペンシルヴァニアである。 1638年以降、デラウェア川西岸にニュースウェーデン会社が入植したが、1655年にオランダに征服される。その後1664年にイギリスがオランダを…

デラウェア植民地

デラウェア湾およびデラウェア川下流の西岸地域である。 名前の由来は、第2代ヴァージニア総督による。彼が就任した1610年代、この地はヴァージニアの一部だったからだ。 1638年にはニュー・スウェーデン会社が恒久的入植に成功するが、1655年には対岸から…

ジョージア2

カロライナ植民地とスペイン領フロリダに挟まれた土地は、先住民ヤマシー族の活動領域だったが、1715~17年の戦争で人口は激減した。生存者はセミノールとしてフロリダへ逃亡すると、海岸部は無人の空白地帯となった。 そんな中、ジョージア植民地は、1733年…

サウスカロライナの経済

地域経済は、英領バルバドス諸島でのサトウキビ事業経験者が担った。 入植当初に経済基盤は、奴隷貿易だった。遠くアフリカから運ばれてくる黒人奴隷よりも、近所で調達できる先住民奴隷の方が低価格で、大きな競争力となった。 奴隷狩りを生業とする先住民…

サウス・カロライナ植民地

カロライナ植民地から北部が独立したことによって誕生した区分である。 自治権を求めた入植者たちにとって、植民地領主は目の上のたん瘤だった。プロテスタントへの信教の自由を認めたことも、イギリス国教会を信奉する入植者たちにとって受け入れがたいこと…

ノース・カロライナ植民地

日本語にすれば、北カロライナである。 陸続きのヴァージニア植民地から入植した北部と、中央政府のある南部と地理的にも社会的にも隔絶されていた。カロライナ植民地の定義である北緯29度~36.5度の範囲内に両者が含まれていたというだけで、赤の他人同士だ…

植民地の定義

新大陸に入植するには、本国の許可が必要だった。特許状、勅許という形で認可される。本国の政府が革命などで転覆すれば、新しい政府に許可を取り直す必要があった。 植民地の範囲は、未入植(未確定領土)の地域と同意語だった。 最初に認可されたヴァージニ…