ゼロから学ぶアメリカ合衆国

ゼロから学んだアメリカ合衆国をわかりやすく説明

冷戦

アメリカとソ連という超大国同士が、戦争で直接対決するのは現実的ではなかった。 国土の広さと国力のスケールは今まで人類が建国した国家を超越しており、 どちらが勝っても共倒れに終わることは必至だった。 それで、いかに同盟国を増やすかが重要なことに…

ソ連の台頭

第一次世界大戦へのアメリカ参戦と同じ1917年、社会主義国家ソ連が誕生した。 当初は世界全体で社会主義革命を起こそうとしたため、諸外国はソ連を潰しにかかる。しかし現実主義者のスターリンが実権を握って”革命の輸出”を諦めると、国際社会で認知され始め…

帝国主義国家へ

アメリカは、宗主国のイギリスに負けず劣らずの征服欲を持つ国家だった。メキシコからテキサス~カリフォルニアにかけての広大な領土を奪い、ハワイ王国を併合した。 19世紀末にはスペインと戦争して、フィリピン・グアム・プエルトリコなどを奪った。 自国…

世界一の工業国へ

南北戦争は、北部の工業力が南部の農業に勝利したことでもあった。 綿花栽培における奴隷労働は、皮肉にも機械の仕事に取って代わった。 農業機械の導入は、南北戦争中にも食糧の生産量を大いに増やした。 19世紀末に工業生産量は、イギリスやプロイセン(ド…

南北問題

建国から時代が進むにつれて、南北の対立が深刻化した。 対立の中心には、南部経済を支えた奴隷制度があった。 建国黎明期に黒人奴隷による労働はピークを過ぎており、いずれ奴隷制度は自然消滅する運命にあると考えられた。 ところが、1793年に綿から種を取…

国土の安定化

アメリカとヨーロッパ本国の間には大西洋という天然の要害が立ちはだかるが、 イギリス・フランス・スペイン・ロシアといった危険な大国と陸続きで接していた。 この問題を解決すべく、フランス領ルイジアナ・スペイン領フロリダ・ロシア領アラスカなどを購…

アメリカの国是

アメリカ合衆国初代大統領は、言わずと知れたジョージ・ワシントンである。 英雄的な業績とは対照的に、彼は控え目な人柄で、調整能力に長けた人物だった。 結びつきが弱く、事実上外国同士のような13州を民主的にまとめるには、 カリスマ的指導よりも、各州…

独立戦争

植民地側と本国との緊張はピークに達し、1775年に武力衝突が起きる。 独立戦争の始まりである。 本国から5000㎞離れた僻地とはいえ、植民地側は軍事力の面で圧倒的に劣る。 そのため13の植民地が結束して、本国に立ち向かうことになった。 今まで植民地同士…

本国の”豹変”

13植民地独立の直接原因は、イギリスとフランスが戦った七年戦争である。 本国イギリスは戦争に勝利したものの、満身創痍の状態だった。 7年もの長期に及び、戦場はヨーロッパのみならず、アジア・アフリカ・南北アメリカと全世界に及んだ。国の金庫は底を突…

17世紀のイギリス

13植民地の歴史を語るうえで、本国の歴史は避けて通れない。植民地の特許を複雑にしたのが、度重なる政変である。 1639~60年に及んだイングランド内戦のクライマックスが清教徒革命である。チャールズ1世が1649年に処刑され、清教徒オリバー・クロムウェル…

植民地の統治形態

1つ目は、本国に無許可で勝手に創設されたもので、最初期に北部で誕生する。プリマス、ニューヘイブン、プロヴィデンス、コネチカットが該当し、1691年までには姿を消した。住民の自発的な同意に基づく「社会契約」をベースに成り立つ。 2つ目は、本国からの…

ニューヨーク植民地

オランダが1609年にハドソン川を発見すると、オランダ商人が毛皮取引で度々訪れるようになる。 事業は国営化され、1624年には現在の州都オールバニおよびニューヨークで恒久的入植が始まる。翌25年にはマンハッタン島での入植が始まり、ニューアムステルダム…

ニューハンプシャー植民地

マサチューセッツとカナダとの国境を流れるセントローレンス川に挟まれた地域である。1622年にジョン・メーソンとフェルディナンド・ゴーシスに特許状が下り、イングランド南部のハンプシャー州に因んで名付けられた。 翌1623年に入植が始まり、間もなく州都…

ニューヘイブン植民地

1637~62年まで存在した植民地で、現在のニューヨークとコネチカット植民地に挟まれた地域である。 ジョン・ダベンフォート率いるピューリタンの一団は、信教の自由を求めてマサチューセッツを目指すが、彼の目には堕落した社会として映り、より良い宗教環境…

ロードアイランド植民地

異端としてマサチューセッツ湾植民地を追放されたバプテスト派が、信仰の自由を求めて移住した土地である。世界七不思議のひとつがある、ギリシャのロードス島から名前を拝借した。1625年には少数のオランダ商人が入植していたが、イギリス人勢力に呑み込ま…

コネチカット植民地

マサチューセッツに上陸したピューリタンは開拓者精神が豊富で、セイラムやボストンといった町に留まらず、周辺に拡がった。エドワード・ウィンズロウは1632年にコネチカット川流域を探検し、ほどなく入植が始まった。コネチカットとは、先住民の言葉で「長い…

信仰の衰え

宗教信条に基づく勤勉さにより、マサチューセッツの共同体は繁栄した。様々な職を担う人材にも事欠かなかった。1636年には、議会主導でハーバード大学が設立され、教育にも力を入れた。 入植開始から数十年が過ぎ、現地で生まれ育った2世の時代になると、ピ…

マサチューセッツ湾植民地(1629~86)

1623年にドーチェスター会社が現在のマサチューセッツ州北東部に入植を開始したことに始まる。ほどなく会社は破産し、事業と現地の入植者は「ニューイングランド会社」に引き継がれる。1628年にはピューリタンのジョン・ウィンスロップによって「マサチューセ…

プリマス植民地(1620~92)

1620年にピルグリム・ファーザーズと呼ばれる清教徒がメイフラワー号を下船して入植したのが始まりである。その地はマサチューセッツ州南東部にプリマス市として、現在も存続する。 前世紀からイギリスやフランスによる漁業が盛んで、漁師は度々本土に上陸し…

ピルグリム

本国での迫害を逃れるために、ピルグリムが最初に移住した先はオランダだった。信教の自由は保障されたが、居候の身分しか貰えなかった。自由な道徳環境は、子供たちの信仰に悪影響を及ぼした。 ここは新天地ではないことに気づいたピルグリムは、新たな移住…

ニュージャージー植民地

ハドソン川とデラウェア川に挟まれ、ニューヨークとペンシルヴァニアに隣接する。 1629年にハドソン川沿いにオランダが開拓地を開いたのが始まりである。1664年にはイギリスが取得して、領主植民地となる。東半分の領主カートレット家の出身地ジャージー島に…

ペンシルヴァニア植民地

チャールズ2世の勅許をもとにウイリアム・ペンJr.が設立した。「ペンの森」のラテン語読みがペンシルヴァニアである。 1638年以降、デラウェア川西岸にニュースウェーデン会社が入植したが、1655年にオランダに征服される。その後1664年にイギリスがオランダを…

デラウェア植民地

デラウェア湾およびデラウェア川下流の西岸地域である。 名前の由来は、第2代ヴァージニア総督による。彼が就任した1610年代、この地はヴァージニアの一部だったからだ。 1638年にはニュー・スウェーデン会社が恒久的入植に成功するが、1655年には対岸から…

ジョージア2

カロライナ植民地とスペイン領フロリダに挟まれた土地は、先住民ヤマシー族の活動領域だったが、1715~17年の戦争で人口は激減した。生存者はセミノールとしてフロリダへ逃亡すると、海岸部は無人の空白地帯となった。 そんな中、ジョージア植民地は、1733年…

サウスカロライナの経済

地域経済は、英領バルバドス諸島でのサトウキビ事業経験者が担った。 入植当初に経済基盤は、奴隷貿易だった。遠くアフリカから運ばれてくる黒人奴隷よりも、近所で調達できる先住民奴隷の方が低価格で、大きな競争力となった。 奴隷狩りを生業とする先住民…

サウス・カロライナ植民地

カロライナ植民地から北部が独立したことによって誕生した区分である。 自治権を求めた入植者たちにとって、植民地領主は目の上のたん瘤だった。プロテスタントへの信教の自由を認めたことも、イギリス国教会を信奉する入植者たちにとって受け入れがたいこと…

ノース・カロライナ植民地

日本語にすれば、北カロライナである。 陸続きのヴァージニア植民地から入植した北部と、中央政府のある南部と地理的にも社会的にも隔絶されていた。カロライナ植民地の定義である北緯29度~36.5度の範囲内に両者が含まれていたというだけで、赤の他人同士だ…

植民地の定義

新大陸に入植するには、本国の許可が必要だった。特許状、勅許という形で認可される。本国の政府が革命などで転覆すれば、新しい政府に許可を取り直す必要があった。 植民地の範囲は、未入植(未確定領土)の地域と同意語だった。 最初に認可されたヴァージニ…

カロライナ植民地

清教徒革命後の王政復古に伴い、1663年に国王チャールズ2世が、功績のあった貴族8名に下賜した領主植民地である。 父親チャールズ1世のラテン名(カルロス)に因み、ヴァージニアの南側に位置する。 カロライナが認可される前から、既に歴史は始まっていた。15…

メリーランド植民地

ポトマック川を挟んで、ヴァージニアの北側に隣接する。ヴァージニアの頁でも登場した国王ジェームズ1世が認可し、彼の妻(=王妃)にちなんで命名された。 迫害されている国内のカトリック教徒の避難所を作るべく、自身もカトリック教徒であるボルチモア男爵…