新世界秩序の構築
ウィルソン外交
アメリカは帝国主義路線を歩んだが、民主党のウイルソン大統領は、ヨーロッパの戦争(第一次世界大戦)には中立の立場を取りモンロー主義を遵守する姿を示した。
さらに国際連盟を提唱するなど、平和の使者というイメージがあるが、事実は違った。
戦争調停役(中立国の役目)として、戦後のヨーロッパ主導権を握ろうとしたのである。状況が変化して、講話のテーブルに着くには参戦する必要があると見ると、しっかりと参戦した。国内では参戦反対派を追放・投獄するなど、抑圧的な態度を取った。
「民族自決(各民族が自己決定する主権性)」と「国際連盟」の提案は、ヨーロッパ植民地の独立を促して列強勢力を切り崩し、アメリカを中心とする新世界秩序を構築することにほかならない。
軍縮(ワシントン体制)
アメリカの国際連盟加入は、連邦議会のねじれ現象により否決され、政権も共和党へ移った。
アメリカは1922年にワシントン会議を開き、戦勝国の海軍を縮小する条約を締結した。軍備費ではなく、経済の発展に資金を使うためである。そして中国大陸の権益を握る戦勝国に、市場開放と自由競争を促す努力もした。日英同盟を破棄させて、列強を分断させた。
アメリカは戦勝国への多額の債権を元手に、敗戦国ドイツやヨーロッパの復興で一儲けし、更には日本政府とアメリカ金融界のパイプも作った。モーガン商会は関東大震災の復興費用等を調達し、日本への経済的支配も強めた。