帝国主義国家へ
1890年までには本土の開拓を終えると、野心は海外へと本格的に向けられた。
その歴史は古く、日本に黒船を送った4年後の1857年に南太平洋の島々を獲得したが、南北戦争の勃発により中断した。
しかし、世界一の工業国になると中米の独立運動に介入し、1898年にスペインと戦って退けた。
新大陸と欧州の相互不干渉という「モンロー主義」に基づいて行動したのである。
アメリカは旧スペイン植民地の独立を支援したが、現地の経済を乗っ取ることによって事実上の植民地とした。
また、新大陸=西半球とモンロー主義を拡大して、太平洋のスペイン領(フィリピン・グアム等)を文字通りの植民地とする。
こうした帝国主義的政策を大きく推し進めたのが、セオドア・ルーズベルト大統領だった。彼は日露戦争の講話を斡旋するなど、極東の利権にも食い込んだ。
ちなみにテディベアの名称は、彼のファーストネーム(セオドアの愛称)から取られたが、そのイメージとは似つかない人物だった。
アメリカには「困っている隣人、道を踏み外した隣人に見て見ぬふりをせず、正しい方向へ導いてやる責任がある」という理論はこの時点で確立し、世界の警察として行動するようになった。