ゼロから学ぶアメリカ合衆国

ゼロから学んだアメリカ合衆国をわかりやすく説明

公民権運動

アメリカの奴隷制度は廃止されたが、人種差別は続いた。

特に南部では法律によって選挙権を剥奪され、公共施設で黒人を隔離する政策が取られた。それは、白人(White)が有色人種(Colored)に「汚されないように」するための措置であった。異人種間の結婚はおろか、同じトイレを使うことさえも違法だった。第二次世界大戦で勇敢に戦い、銃後を支えた彼らは失望した。

1955年に黒人女性ローザ・パークスは、バスの車内で白人へ席を譲るよう促されたが、仕事の後で疲れており、席を立たなかった。すると、逮捕・投獄されて罰金刑を言い渡された。彼女は黒人エリアに座っており、何ら法律に触れる行為はしていなかった。

この事件に抗議したのが、キング牧師だった。彼は非暴力による抵抗運動を説き、バス・ボイコット運動を展開した。合衆国最高裁判所は「バス車内での人種隔離は違憲」との判決を出した。その後、レストランや映画館、図書館等様々な公共スペースでボイコットや座り込みによる抵抗運動が広まった。暗殺されたケネディを継いだジョンソン大統領の下、1964年の公民権法、1965年の投票権法が成立し、黒人の権利と平等が法的に認められた。こうした動きは、女性解放運動などにも波及する。

テレビドラマを見ると、黒人と白人の警官がバディを組む姿が映し出されるが、現実には黒人と白人は交友を持たないのが今でも普通である。

「有色人種」には先住民や黄色人種も含まれる。遠い先祖に一人でも有色人種がいれば、白人と認められなかった。

公民権運動には、社会の安定と国家の威信という問題も付きまとった。第二次世界大戦中の労働力不足を補うために、黒人人口の1/3が南部から北部の大都市へ移動した。黒人問題は、南部だけの問題からアメリカ全体の問題へ変化したのである。メディアの発達により、情勢は全米のお茶の間だけでなく、世界中の外国人の目にも晒されたのである。

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