ゼロから学ぶアメリカ合衆国

ゼロから学んだアメリカ合衆国をわかりやすく説明

政党政治

考え方の潮流は複数存在していたとはいえ、建国時に政党というものは存在しなかった。主権のウエイトを州と連邦政府のどちらに置くか、大きい州と小さい州の利害、北部と南部といった潮流があった。こうした違いを話し合いで解決するのが、大陸会議および連合会議での「政治」だった。ワシントンらの理想とする姿でもある。実際、議決は全州批准または、3/4の多数決という、かなりハードルの高いものだった。それに伴い、合意にも膨大な期間を要した。公正さと絶対的人望のあったワシントン議長の人格と調整能力を以って成立していた部分も大きい。

しかし、大統領をトップとする行政府が機能し始め、政策の数が激増すると、そうも行かなくなる。ワシントン政権の2期目には、国務長官のトマス・ジェファソンが政府内の意見の対立で政府を去っている。主権のウエイトを州と連邦政府のどちらに寄せるか、農民と商人との利害の対立が原因となり、政党が自然発生する。政府を去ったジェファソンらの民主主義的共和党(リパブリカン)、アダムスやハミルトンらの連邦主義党(フェデラリスト)である。少し前の日本でも、自由党民主党自由民主党という政党が同時期に存在したために混乱を招いたが、上記の理由もあって、リパブリカンフェデラリストと表記することが多い(リパブリカンは現在の共和党ではなく民主党の前身とされる)。

フェデラリストは名前のごとく、集権的な中央政府を志向し、商人が政策の恩恵を受けやすい。

リパブリカンは州の主権を重要視し、各人が主体的に生活する自作農が恩恵を感じやすい。

無党派だったワシントンの後継者はフェデラリストのアダムスになるが、副大統領はリパブリカンのジェファソンだった。これは大統領選挙で2番目に得票した候補を副大統領とする仕組みのためだった。政党政治を念頭に置かない選挙制度は政府運営に深刻な支障を来し、まもなく改められる。

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