ゼロから学ぶアメリカ合衆国

ゼロから学んだアメリカ合衆国をわかりやすく説明

米英戦争(1812~14)

ナポレオンが1804年に皇帝として即位すると、英仏で戦争が再開される。敵国と貿易する船舶も攻撃対象となった。経済を対外貿易に依存していたアメリカは、大西洋上で商船を頻繁に拿捕された。特に英国海軍は「元のイギリス人は、いつまでもイギリス人」という強引な理論を展開し、植民地時代に生を受けたアメリカ人船員を英国海軍に強制徴用したのだ。

国際問題では中立が国是だったが、ジェファソンの跡を継いだ第4代マディソン大統領は、ナポレオンの詐術に引っ掛かり、「メーコン法第2法案」に基づいて「通商禁止法」をイギリスとの貿易に適用させる。5年にわたるアメリカの経済制裁が功を奏し、帝国議会アメリカ船への嫌がらせを撤回する。しかし大西洋を跨いだ通信事情が災いして、この知らせがアメリカに届く前に戦争は始まった。

アメリカはカナダ侵攻を何度も企てるが、悉く失敗する。イギリスは1814年にナポレオンを退位させると、兵と武器をアメリカ戦線へ補充する。英国軍はワシントンを占領して、首都を焼き討ちにする。開戦に踏み切ったマディソン大統領と南部の議員(リパブリカン党)を、貿易に従事していた北部の人たち(フェデラリスト)は非難し、12月15日には連邦からの離脱も計画する。しかし12/24に講和が結ばれて終戦に至り、翌1/8にニューオリンズの戦いでアメリカが大勝利を収めると、フェデラリストの行動は国家反逆を企てたと衆目に映り、党は瓦解する。

講和と戦闘の記述に違和感を感じただろうか。講和条約はベルギーで締結されたが、アメリカに伝わるまで半月以上かかった。両軍とも終戦を知らずに戦っていたのである。コネチカット州に集まっていたフェデラリストも散会した1/5の時点で、講和を知らなかった。当時の情報や通信の事情は、このようなものだった。7年間の貿易制裁により、イギリスから買っていた工業製品を国内で製造するように産業構造がシフトしたのは、想定外の成果だった。

 

目次へ 戻る