ゼロから学ぶアメリカ合衆国

ゼロから学んだアメリカ合衆国をわかりやすく説明

ボストン茶会事件(Boston Tea Party)

13植民地の表向きは平穏だったが、1773年の紅茶法は致命傷となった。

紅茶の不良在庫に悩み,経営の苦しかった国策東インド会社を救済するため、東インド会社に紅茶の専売権を与えたのだ。現在は紅茶だけだが、行く行くは植民地貿易全体を本国が独占するようになるのではと危惧した。

紅茶法の政治的意図を汲み取った植民地側は、港に到着した紅茶を陸揚げしなかったり,倉庫に封印するなどの措置を講じたが、ボストン市民は船内に乗り込んで積み荷を海に投げ捨てるという過激な形で抗議した(「ボストン茶会事件」)。

本国政府は、ボストン市やマサチューセッツ植民地への制裁を含めた5つの法律で報復する。一連の法律は「耐え難き諸法」と呼ばれるが、その中でも「ケベック法」は脅威となった。拡張されたケベックとの境界線が、南部の植民地と直に接するようになったのである。緊張は一気に加速する。

ジョージアを除く各植民地の代表は一堂に会して「大陸会議」を開き、「代表なき課税」が撤廃されるまで本国との貿易制裁を決議する。取引は前年の僅か3%まで落ち込み、大きな成果を上げる。

おまけ

 英語圏での嗜好飲料は紅茶であるが、アメリカだけはコーヒーである。これはボストン茶会事件を受けて大陸会議が決議した紅茶ボイコット運動の産物である。

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