ゼロから学ぶアメリカ合衆国

ゼロから学んだアメリカ合衆国をわかりやすく説明

モンロー主義

 米英戦争で焼き討ちに遭った大統領官邸は、戦後に焦げ跡を隠すために白いペンキで塗られた。以降はホワイトハウスと呼ばれるようになる。ボルチモア戦を目撃したスコット・キーは、その様子を「星条旗よ永遠なれ」という詩で表現し、アメリカ国歌となった。

  1817年に第五代大統領モンローが就任すると、ジョージア州周辺の先住民対策に乗り出す。スペインがセミノール族を煽動して騒ぎを起こさせ、避難先としてフロリダを提供していたのである。鎮圧に派遣されたのが、先述ニューオリンズの戦いの英雄であるジャクソン将軍である。結果的にフロリダはアメリカ領になり、スペインの脅威は取り除かれた。

この頃、中南米植民地の独立運動が盛んになるが、宗主国スペインに足並みを揃えて対抗するよう英国がアメリカに呼びかける。その答えが1823年のモンロー宣言だった。「新大陸は、いかなるヨーロッパ列強によっても、植民地化の対象と考えられるべきではない」という趣旨で、欧米の相互不干渉を説いた。肝心なのは、英国(欧州)との共同ではなく、単独で宣言したことである。アメリカの外交スタンスを明らかにした宣言は、ワシントンの中立路線を継承しているが、アメリカ合衆国ならず、新大陸および西半球(太平洋)まで領域を拡大したことである。宣言当時の目的は、アラスカから南下するロシアをけん制することだった。さらにモンローは、アフリカ大陸のリベリアに土地を得、解放奴隷を植民するプロジェクトを行使した。

 ちなみにモンロー宣言の原稿を考えたのが、国務長官のジョン・クインシー・アダムズで、2代目大統領の息子である。彼は、モンローの跡を継いで、第6代大統領になる。

目次へ 戻る